関東支部について
敬愛同窓会の始まり
名古屋学院は136年前―明治20年(1887年)の6月、キリスト教の伝道と英語教育の為に開拓者精神に燃えて名古屋に来たメソジスト・プロテスタント派のアメリカ人宣教師フレデリック.C.クライン博士が名古屋英和学院を開校したのが始まりです。
明治39年には私立名古屋中学校となり、昭和22年から新制名古屋中学・名古屋高等学校として、6年間一貫教育を行ってきました。敬愛同窓会は戦後まもなく、故丹羽兵助氏(元労働大臣)が中心となり始動しました。
関東支部の軌跡
関東支部は、東大教授であった故・横田喜三郎氏(最高裁長官・文化勲章受章者)が京浜支部として発足させたのが始まりです。昭和53年には関東支部となり、初代支部長には故・戸田修三氏(中央大学学長)が就任し、以後、二代目支部長に坪井一郎氏(日動興業(株)社長)、3代支部長に故・高山成雄氏(伯東(株)社長)、4代支部長に森田敏夫氏(大成建設(株)部長)、5代支部長に前田英嗣氏(証券会社役員)、6代支部長に林直清氏(大幸住宅(株)社長)、7代支部長に野村晶氏(リクシル(株)執行役員)となり、8代支部長には再度、林直清(大幸住宅(株)会長)が就任し 、今日に至っています。また、過去、顧問として財界研究所初代社長、財界評論家、著述家の故・三鬼陽之助先生を初め、著名な方々が就任されていました。
関東支部では、財界・学会・政界で活躍されている諸先輩が母校の発展と支部会員の相互の親睦をはかる為に、種々の会合を開いてきました。また、かつては支部会報誌[わが友よ]を発行しておりました。
ここでは、過去開催されました会合の写真や資料、そして諸先輩方をご紹介します。
偉大なる同窓
横田 喜三郎 先生(大正5年卒)
愛知県江南市出身。国際法学者。第3代最高裁判所長官。戦後,日本憲法が定められたとき,それまでの片仮名文語から,平仮名口語で表記をすることを提案。これにより,憲法が民衆に分かりやすく親しみやすいものになり,民主化に大きく寄与した。東京裁判では裁判の翻訳責任者を務め、その後、東京大学法学部長、日本学士院会員などの地位にあって日本の国際法学会をリードした。また、ハーグの国際司法裁判所の判事を務められ、戦後日本の三大法学者の一人と言われた。1966年(昭和41年)勲一等旭日大綬章、1977年(昭和52年)勲一等旭日桐花大綬章、1981年(昭和56年)文化勲章、1983年(昭和58年)紺綬褒章受章。
三鬼陽之助 先生(大正15年卒)
三重県尾鷲市出身。経済評論家。ダイヤモンド社を振り出しに経済記者となり、『投資経済』編集長、『日刊東洋経済』編集長などを経て、昭和28年財界研究所を設立、雑誌『財界』を創刊。著書は『生き残るサラリーマンの条件』『財界四天王の遺訓』『私の財界昭和史』『闘魂の経営者』『本田宗一郎が教えたこと』他、100冊以上にのぼる。”財界鬼検事“、”財界のご意見番“と呼ばれた。
三鬼陽之助先生の卒寿を祝う会(90歳の誕生会)
日時:平成9年8月8日
場所:赤坂東急ホテル
主催:三鬼陽之助先生を囲む会
御来賓:中内功氏(株式会社ダイエー)
塚本幸一氏(株式会社ワコール)
海部俊樹氏(元内閣総理大臣)
初代支部長
戸田 修三 先生(昭和16年卒)
愛知県一宮市出身。日本の法学者で専門は商法。初代の日本私立学校振興・共済事業団の理事長を務められた。2000年(平成12年)に勲一等瑞宝章を受章。
昭和53年第一回関東支部総会(目白・椿山荘)が開催され、初代支部長に選任された。当時、中央大学学長を務められ多忙の為、二代目支部長坪井一郎氏が実質的に運営された。
二代目支部長
坪井 一郎 氏(昭和16年卒)
昭和16年名古屋中学を卒業し、早稲田大学に学ばれ、日動火災株式会社の役員をした後、日動興業株式会社の代表取締役社長を務められた。
同級生であった初代支部長戸田修三氏(中央大学学長)が多忙であった為、代わって支部運営を引き受け、昭和53年第一回関東支部総会(目白・椿山荘)と昭和54年秋の第二回支部総会(ホテルニュージャパン)の開催に尽力された。第一回の総会は、約80名の同窓生が参集し盛大に開催された。当時、坪井氏は東京駅南口前にあった日動興業株式会社のサロンを提供し、会員名簿の作成・発行、様々な親睦行事の企画等、支部組織の充実に尽力され、敬愛同窓会関東支部発展の基礎を作られた。
有島 一郎(本名:大島忠雄) 氏(昭和8年卒)
俳優。1961年3月生まれ~1987年71歳で昇天。クリスチャン。有島一郎一座に始まり、劇団たんぽぽ、松竹大船、東宝芸能等に所属していた。映画「若大将シリーズ」、テレビ「飛び出せ青春」「おもちゃ屋ケンちゃん」「新五捕物帳」「暴れん坊将軍」等、多数出演した。1982年に紫綬褒章を受章。
三代目支部長
髙山 成雄 氏(昭和12年卒)
1953年エレクトロニクス専門商社である伯東株式会社を設立し、代表取締役社長・会長を務め、東証一部に育てあげた。東京南ロータリークラブ元会長。1987年(昭和62年) 内閣総理大臣表彰(貿易表彰)、1991年(平成3年)藍綬褒章、2000年(平成12年) 紺綬褒章受章。著書『ふたつの祖国に育まれて』文芸社。2010年94才で天に召された。
名古屋学院には、多額の寄付をし、留学生会館(髙山ホール)や体育館(新髙山体育館)ができている。また、2001年には財団法人髙山国際教育財団を設立され、東南アジアからの留学生に寄宿舎を提供し、奨学金を支給し続けた。
浅井 邦二 先生(昭和17年卒)
早稲田大学人間科学部初代学部長、心理学者、早大名誉教授。著書『図説心理学入門』、他。
関東支部総会には毎回出席され、温かく同窓に接しられ、後輩には激励をいただいた。
飛田 良 氏(昭和25年卒)
名古屋大学工学部卒業後、富士通信機製造株式会社(現・富士通)入社し、リレー式電気計算機の時代から、LSIコンピューターの時代まで、主にシステムの入出力装置の開発を担当。のちに、株式会社滋賀富士通ソフトウエアの代表取締役社長を務める。飛田富三郎先生は飛田氏の父親である。
春田 正毅 氏(昭和41年卒)
金の触媒作用の研究の第一人者として知られる。存命中には毎回ノーベル賞候補になっていた。1966年名古屋高等学校卒業、1970年名古屋工業大学工業化学科卒業、1975年京都大学大学院博士課程修了。1976年工学博士(京都大学)。論文の題は「A study on the electrolysis in liquid hydrogen fluoride (液体フッ化水素中での電解反応に関する研究)」
2005年から首都大学東京教授、2011年触媒学会会長、1994年にはウィーン工科大学の客員教授、2020年東京都立大学大学院 都市環境科学研究科附属 金の化学研究センター研究アドバイザー、名誉教授、客員教授
受賞歴:1997年 大阪科学賞/ 1998年 科学技術庁長官賞(第24回研究功労者表彰)/2010年 日本化学会賞/2012年 トムソン・ロイター引用栄誉賞/2014年 中日文化賞
丹羽 兵助 元労働大臣(昭和4年卒)
(1911年5月15日-1990年11月2日)名古屋市守山区出身。自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。元労働大臣。名古屋市内の陸上自衛隊駐屯地で、統合失調症で入院から一時退院中だった男に首を刺され、翌月に亡くなった。第2次田中再改造内閣の国土庁長官、第1次中曽根内閣の総理府総務長官・沖縄開発庁長官、竹下改造内閣の労働大臣などを歴任した。自由民主党代議士会会長に就任。党内の意見調整のかなめとして尽力した。1988年、勲一等旭日大綬章を受章。
岸 千年 先生(大正7年卒)
(1898年1月15日-1989年6月30日)岐阜県出身。牧師、神学者。日本福音ルーテル教会牧師、1950年日本ルーテル神学大学教授、1964年神学大学長。日本聖書協会理事長。
著書:1940年 『十字架の神学者マルティン・ルッター』黎明社(ルッター神学叢書)/ 1949年『改革者マルティンルター』ルーテル社 / 1961年『ヘブル書講解におけるルターの神学思想 』聖文舎/ 1965年『ローマ人への手紙』信徒のための聖書講解 聖文舎/ 1966年『ガラテヤ百話』聖文舎 / 1972年『イザヤ書』信徒のための聖書講解 聖文舎 / 1986年8月『神の仮面』鈴木武仁編 おとずれ社 / 1988年1月『み手に導かれて ある愚か者の生涯』聖文舎
藤川 玄人 先生(昭和19年卒)
1926年6月13日愛知県出身。英文学者、東洋大学名誉教授、名城大学教授。
著書:1982年『共同体とホーソーン』弓書房
過去の支部総会
支部「会員名簿」
1980年10月発行 関東支部「会員名簿」
表紙と副支部長坪井一郎氏の挨拶文